裁判所や警察は片親による子供の監禁に加担すべきではない。
片親が主役のいびつな構造(運用)から子供が主役の構造(運用)へ変更すべきである。
将軍様は人道援助でミサイル武装、同居親様は婚姻費用(養育費)で弁護士武装・・といったところ。
別居親は短時間子供と一緒にいても監禁逮捕なのに、同居親は監禁すると監護実績名目でパワーアップ。
例え何らかのエビデンスを提示できたとしても子供の自由を認めない全体主義的な考えが正当化されるわけではない。
憲法は年齢制限なく人権を認めています。問題はお飾り(建前)に留め、実質的には子供の人権を認めない法曹界の人々。
DVしてる妻が子供を連れ去っても政治権力は妻を支援するので子供は悲惨なことになります(母優先・監禁親優先の帰結)。
民法の単独親権者の居所指定より、憲法の子供の居住移転の自由(別居親を選択する自由)を優先すべきである。子供は奴隷ではない。
子供連れ去り支援者達は、労働者のために立ち上がり、人生終わったら労働者虐殺ランキング上位に名を連ねる社会主義国の建国者達と似ている。
片親による身代金誘拐を唆し、ピンハネすることをビジネスモデルの一つにしている弁護士達(法曹界)は非難するに値する。即座にやめるべきである。
中学生以下における現在の親権・監護権の決定基準は、母親であるか?、監禁親であるか?、の2点。同居母の虐待は不都合な真実として蓋をするだけ。
面会交流反対派(消極派)はDV被害者が子供と一緒という前提で、DV加害者が一緒のパターンが似たオーダーでいるという当たり前のことを完全に無視するのが一般的傾向。
この界隈でDVについて語っている人(子供連れ去り正当化としてのDV)は気に入らないことを全て身体的DV的にラベリングして(混同させて)万能薬にしてしまおうとしている。
監禁支援弁護士は不幸の商人という感じ。私利私欲の絡んだ独善的な価値観で正義を掲げて不正義とラベリングした相手はどうしてもいいという発想は現代の十字軍という感じ。
直接払い(本人に渡す)から言ったら養育費と面会交流がセットでもおかしくない。一部の同居親がお好きな第三者機関を使うなら直接払いにしても支払いがはっきりして問題ない。
同居親(特に母親)の場合は子供本人が嫌がっても同居、別居親(特に父親)の場合は子供本人が望んでも監禁。そういうことにしたい勢力が幅を利かせている悲惨な児童奴隷国家が日本。
憲法に何人も居住移転の自由を有するとはっきり書いてあるのに、子供に居住移転の自由を認めるのは理論的根拠がないという弁護士さんは何人いたとしても感覚がマヒしているとしか思えない。
日本は囚人のジレンマ的法律婚制度。しかも、母親はアクションを起こしやすいけど、母親優先原則でひっくり返されることがあるので父親はアクションを起こしにくいタイプの囚人のジレンマ。
母親が子供を連れて逃げる名目なら急を要するから立証不要ですぐ逃げてよくて事後追認なのに、子供本人だとそうならないのが整合性がとれていなくて不思議だし、不幸(同居母の児童虐待)の源泉。
どう考えても養育できていなかった客観的証拠でもない限り主たる養育者は母親だったと見なす・・のが実質的な家裁の運用。父親を常に自業自得扱いしたい監禁支援弁護士のプロパガンダが目立ちます。
養育費と面会交流は別と言って、養育費をもらいつつ、面会交流はさせようとしない動きがあるけど、賃金と同じく直接払いであるなら、セットが原則。間接払いが当たり前になっている運用がおかしい。
別居父側の欠点は判決のデコレーション(飾り)になりますが、別居父側のいいところはアドバンテージ(利点)にはなりません。豪邸に住んで家政婦がいようが関係なく、同居母の金銭要求のネタになるのみです。
同居状態で離婚ならわかりませんが、母親が子供を確保して別居状態に入った場合で子供が保育園・幼稚園なら家事育児完全分担どころかほとんど父親がやっていても父親が有利になることはないと思います。子供が父親しか受け付けないぐらいでも子供の意思は考慮しないと言って母親とひっつけるのが家裁。
監禁支援弁護士さんの主張は子供はクライアントの持ち物という割り切りがあって一種すっきりはしている。監禁の何が悪いの?、犯罪の何が悪いの?、人殺して何が悪いの?・・と完全に開き直る犯罪者のよう。
子供のためという大義名分で自称DV被害者(真実DV被害者かもしれないし本当はDV加害者かもしれない人)が子供を連れ去れるのに子供自身には選択の自由(逃げる自由)はなく監禁(軟禁)しか選択肢がない不思議。
旦那のモラハラ(精神的DV)によって無限のポテンシャルがあった妻が精神的障がい者になって稼ぐ能力が全くなくなったので働かなくても優雅に暮らせるお金を払うべきだ・・・というのが日本の標準的モデルかも。
親権・監護権に関しての司法(裁判所)の判断基準は、母優先と監禁親優先。どちらも子供の意思を無視し児童虐待の大きな原因である。子供の自己決定権(居住移転の自由・逃げる自由)を保障した基準への即時是正が必要である。
子供を実効支配している母親に対して親権・監護権を与える儀式と化している家裁の裁判を是正すべきである。母子家庭の児童虐待・児童虐待死の大きな原因であり、子供の自己決定権(居住移転の自由・逃亡の自由)を保障すべきである。
DVから子供を連れて逃げたとおっしゃる同居親さんが面会交流や共同養育の流れを批判するわけですが、そんな酷い思いをされたのに、そのとんでもないDV配偶者のような人が同居親になってしまっているケースには関心が行かないのでしょうかね?。
現在の裁判は同居母に親権・監護権を渡す儀式。その結論を飾るための同居母に有利、別居父に不利な理由付けを書いていく作文が調査官調査。子供の意見は同居母を望むときのみ考慮されます。別居父を望むときは子供の意見は考慮しないと言われます。
妻が逃げるのに裁判所の許可がいらないのなら、子供が逃げるにも裁判所の許可はいらないと思います。法律上は事後追認を徹底させればいいだけだと思います。自由に対しいちいち裁判所の許可はいらない。・・はずだけどそうはなっていない日本の運用の悲劇。
会わせちゃいけない親はいないとは言わないけど、同じ程度の割合でそんな感じの親が同居親になっている・・という当たり前の事実に蓋をするのがこの界隈。凶暴な人間も異常な人間も同居親と別居親の一方に偏り過ぎることはあり得ない。似た感じに分布する。
子供が自己と同程度の生活を営む権利を有するのを曲解して養育費を吊り上げよう(弁護士報酬増やそう)とする弁護士連合会(新算定表)。金持ちは質素な人も多い。金持ちの子供に贅沢な生活を強要して金持ちの子供が金持ちにならないようにするという弁護士的社会正義かも。
自己と同程度の生活をさせる扶養義務(生活保持義務)は、自宅(生活スペース)を自分と同レベルで使っていいということであり、相手の好きなところに同レベルの別宅を建てる義務ではない。まして、子供が連れ回されるのに伴い、子供の存在地点に自宅と同レベルの住宅を出現させる魔法でもない。
不払い問題と混同させて養育費の相場を上げ、弁護士報酬上げようという政策<日弁連の新算定表。母子家庭の貧困を別居父のせいにしたいらしいが、共働きでようやく生活している人たちも多いのに、家を別にして当たり前に裕福のはずはない。別居父を多重債務にして次の仕事もゲットという感じ。
戦前のファシズム時代にも裁判所はありました。裁判所はその程度。今は自由憲法が最高権威です。最高権威で現在の権力に対抗するのは常套手段です。天皇権威が幕府をひっくり返したり、弱小王権が最強諸侯を倒したりは歴史上多く見られます。子供の自由から現在の運用を揺さぶるべきだと思います。
弁護士は動かす額に連動する報酬というインセンティブで動きますし、離婚成立時点で仕事の大半は終わりですから、その時点の額を最大化する誘因が働きます。また、別居親の経済力を残しておくと対抗措置をされる恐れがあるので同居親有利を利用して経済力は削げれば削げる程いいというのが本音かも。
養育費を払っている人に養育費不払い問題ぶつけるのは不当。育児をしている人に育児しない批判をぶつけても不当。暴力的でない男に男が暴力的であるという批判をぶつけても不当。当てはまらない人にぶつけても不当なだけなのに男や別居親のクラス批判を作りクラス差別し政治運用化してるのがこの界隈。
継続性の原則(現状維持ルール)として裁判所がやっている運用は、監禁が短いうちは監禁親を事実上保護・支援し、長くなればそろそろいいだろうと親権取得(実質的時効取得)のお墨付きを与え、名実ともに保護・支援すること。児童虐待や児童虐待死の大きな原因であり、子供の自由を保障する形で即時に是正する必要がある。
養育費増額を目論む弁護士連合会の新算定表は、作付けや収穫して地に足をつける経済的な人に対し、五公五民だとか言って御都合主義に持っていきたい政治的な人が提示したもの。養育費の不払いの多さをイメージ的に利用して養育費の相場を上げようとしているのだが、払っている人の養育費を上げても不払いは解消しない。
連れ去った人がやばい人の可能性も連れ去られた人がやばい人の可能性と同じ程度にあるはずなのにそれには蓋をして都合のいい偏りは維持したいのが弁護士の本音なんでしょう。個々の弁護士が金金という感じではないでしょうが、不条理だろうが都合のいい運用を何となく支持して利用して紅茶をすする貴族の気分でしょうかね?。
面会交流は別居親と子供を精神的に離す政策的要素もありそう。貧困対策・虐待防止などで面会交流促進というベクトルがある一方で、別居父(母)はパパ・ママじゃなくて、頼れるおじさん・おばさん(家族より親戚)にした方がいいと思っていそう。父母同格にすると同居親から逃げる可能性があがり法的安定を害すると考えていそう。
関係者の所在・連絡先がわかるようにして、あとは子供本人の希望通りにさせてやる・・なんていうことを実現することができない国が日本。一部の例外を除けば、本人の希望と言っても両親のどちらかしかない。理想の環境ではなく緩い方に流れるかもしれないなどという危惧で自由を認めず虐待親の下で虐待され続ける子供が日本には沢山いる。
両親が同居している状態では他に受け入れ先がないので子供の居住移転の自由は問題にならないことが多いが、本質的平等である両親(男女)が別居状態になれば、その間では子供は居住移転の自由を行使できるはずである。憲法は年齢制限などしていないのである。それを認めない裁判所は明らかに憲法違反の状態であり運用を即時に是正すべきである。
FPICも保育園も似たようなもので、合意の成立を条件にして、体よく同居親次第という運用。これは連れ去りなどをした瞬間からはじまり、別居父が監護していた場合でも関係ないので、監護継続性は用語としておかしく監禁親優先という感じ。別居母も時機を逸してしまえば、別居父と変わらないが、母優先原則のため別居直後であれば子供を取り返して立場を逆転できる可能性がそこそこある。
日本ではどんなひどい母親でも母親が子供を連れ去り監禁すれば母親が監護権・親権を取得するのであり、これが母性優先(母親優先)と継続性(監禁親優先)の帰結である。裁判所が適当な監護権者・親権者を選任するなどというのは絵空事に過ぎない。現に強制収容所に収容されている人間は強制収容所に収容されるのが適当と言っているに過ぎない。裁判所は監禁の事後追認機関であり、監禁したのが女性(母親)であればより盤石ということである。
子供の自由を認めない(子供の意思を考慮しない)ことを正当化する方便として子供に決めさせるのは可哀そうという監禁擁護派の常套句があるが、父親と住みたいと本人に言わせるのが可哀そうだから大人になるまで母親の監禁に置かれ、虐待されたとしても耐え続けるしかないというのは異常。更に言ってしまえば、子供が逃げたいと言っているのに子供に意思を表明させるのは可哀そうだから、裁判は聞かない(耳を塞ぐ)といっているのであり、先例を形式的に適用するために非情に徹する姿には唖然とさせられる。
家庭裁判所は確信犯。子供の自由や福祉や虐待防止より監禁親の所有権が上に決まっているだろう・・憲法の自由(人権)を持ち出すなんて空気の読めないやつだな・・憲法や人権はお飾りに決まっているだろう・・ぐらいの感覚。要はどんなに悲惨な結果になろうとも前例(先例)の母優先・監禁親優先を踏襲する。子供の自由を認めるべきであり、自由なもの同士の自治で解決する領域については裁判所はお呼びでない。監禁など自由の侵害を取り締まるべきである。監禁を保護・支援する昔ながらの全体主義的体質を是正すべきである。
お金は使おうと思えば幾らでも使える。月額数十万円の家庭教師を雇うかもしれない。それが教育上いい悪いの判断はできないので、養育費は相手の所得で跳ね上がることがあるし、それがいい。子供と全く関係なさそうなことに使っても、風が吹けば桶屋が儲かる的に子供のためになるかもしれないし、権力側が判断すべきでもない。そういう理屈を養育費が上がったらうれしい人達が考えて実践している。でも、子供は親と同レベルの生活を営む権利を有するだけで、本来親の所得が高いからといって質素な親の元で親にお金を振り込ませて贅沢できるわけではない。沢山お金を振り込ませて贅沢できる権利を認めたがる人達は子供の福祉をいう用語を利用してはいるが子供の福祉よりも動くお金の額に連動する報酬を増やすイ